公開日2020/02/21
公開日2020/02/21
「素隠居(すいんきょ)」とは、阿智神社の例大祭に現れる「じじ」と「ばば」のお面をかぶった人たちのこと。ラッキョウに似たお面の表情は、少し不気味なのにどことなくユーモラス。手には渋うちわを持ち、祭の見物客の頭をうちわでパンパンと叩きながら、倉敷美観地区周辺を練り歩きます。叩かれるとご利益があるといわれ、自ら頭を差し出す見物客もいれば、怖がる子供を抱きかかえ「この子を叩いてやって」と近寄る親子連れの姿も。その光景は、倉敷の祭の風物詩となっています。
「素隠居の歴史は古く、江戸中期までさかのぼります」と話すのは、倉敷素隠居保存会の事務局長・小田晃弘さん。「戎町(えびすまち)に住む沢屋善兵衛が、神社の御神幸で獅子舞のお役を賜ったのですが、高齢のため参加が厳しく困っていたそうです。そこで思いついたのが、人形師・柳平楽に自分たちの面を作らせ、代理として若衆に被ってもらい、御神幸に参加してもらうこと。これが素隠居の始まりなのです」。当時の素隠居は今のように自由に動き回るのではなく、御神幸の間、獅子の背布を被って獅子の後ろをついて歩く存在。お面も頭全体を覆うマスクだったそうで、今と役割も姿も違っていました。
それが今のような姿で自由に歩き回るようになったのは、明治に入ってから。御神幸から神輿太鼓などが省かれ縮小したことで、御神幸に参加できなくなった町民たちが御神幸とは別に神輿太鼓(千歳楽)を出すようになったことに関係します。「跳ね上げたり、傾けたり、荒々しく担ぐ千歳楽に、子供が面白がって大勢集まったそうでね。子供が近づかないようにするため、千歳楽にも『じじ』と『ばば』のお面をかぶった人を交通整理役として付けるようになったそうです」と小田さん。これを機に、素隠居の役割が変化し、一人で自由に動ける「じじ」「ばば」となって、素隠居があちこちに現れるようになったといいます。
さらに時代が大正・昭和に移り、祭そのものが盛んになると、それに比例して素隠居の登場も増加。こうして「倉敷の祭といえば素隠居」が定着し、祭に欠かせない存在になっていきました。