公開日2025/11/4
2024年の早春、民藝のまち・倉敷に誕生した「倉敷青木窯」。
「陶芸家ではなく陶工」と称する若き窯元に、お話を伺ってきました。
公開日2025/11/4
倉敷の焼物のひとつとなることを目指し、酒津の土を用いて日常使いの器をつくる
2024年の早春、民藝のまち・倉敷に誕生した「倉敷青木窯」。
「陶芸家ではなく陶工」と称する若き窯元に、お話を伺ってきました。
倉敷美観地区の東端に隣接する倉敷市羽島。「倉敷青木窯」は、その中央部近くに位置する小高い青木山のふもとにあります。
窯元である三宅康太さんが、陶芸の世界に入ろうと決めたのは2017年のこと。発端は、「倉敷堤窯」の武内真木さんが焼いた一枚の皿との出合いだったといいます。





それは、服飾関係の専門学校卒業を間近に控え、憧れていたアパレル会社への就職が決まった三宅さんが、一人暮らしの準備をしていた時のこと。「学校の先輩で民藝品を収集していた『須浪亨商店』の須浪隆貴さんの影響もあり、いい器でご飯を食べたいと思って相談したら、勝山で展示会があるよ、と。そこで出合ったのが武内真木さんのお皿でした。縁の押紋(おしもん)がすごくかわいくて、表面には真木さんが指で拭って成形した跡が残っているんです」。




就職先で働く中、三宅さんはしだいに「もっと自分の手を使い、僕の手の痕跡が残る仕事をしてみたい」と考えるようになっていきました。そしてある朝、その押紋の器で朝食をとっている時に「これだ」と直感。「数をたくさん作っている人がモノづくりの上手な人」という考えから、作家ではなく陶工を目指す決意をしたのです。
とはいえ陶芸はまったくの素人。会社で仕事の引き継ぎをしつつ、現場を知るために岡山県や近県の窯元を訪ねて見学する日々を送りました。「何を聞いたらいいのかさえわからない」状態でしたが、現場を間近で見るたびに、「陶芸をやりたい」という気持ちは強くなっていったといいます。
