公開日2020/01/9
公開日2020/01/9
「かつて倉敷のジャズ好きが集まって、阪神・淡路大震災の被災者支援のためにジャズコンサートをしていました。そこから、ジャズで町の賑わいづくりをと考えるようになり、2009年の『おかやま県民文化祭』で開催された『倉敷ジャム〜アートがまちを創る』というプログラムのコンテンツのひとつとして、このイベントをスタートさせたのです」。第1回目から運営全般を支えてきた松本琢真さんは、そう振り返ります。
その後、「倉敷ジャム」から独立し、単独で開催するように。毎年三月になると、地域に住む人や勤める人たちが実行委員会を立ち上げ、開催に向けて動き始めます。会場の確保、参加者の募集・選考、チラシやポスター、チケットなどの制作・販売、広報と、すべて自分たちの手で行っているのです。
「地域の協力なくしては成立しないイベントですが、当初は告知が足りずご存じない方もおられました。回を重ねるごとに知っていただけるようになってきましたが、会場となる町家に防音設備がないことから、周辺に住む方たちのいっそうの理解を得られるよう心がけています」と松本さんは語ります。
「かつて幕府直轄のいわゆる天領だった倉敷では、町衆と呼ばれる裕福な商人が経済力を背景に地方自治を進展させ、独自の文化を築いていました。『倉敷ジャズストリート』は、そうした背景がある倉敷だからこそ続いている、市民活動だと思います」。そう話すのは、その立ち上げから関わり、2018年まで実行委員会会長を務めていた大久保憲作さん。
「倉敷の町家は骨格や意匠に様式がありつつ自由度が高く、そこに住む人々はそれぞれに自由に暮らしています。自在なアドリブも魅力のジャズには、町家暮らしと通じるものを感じます。意外な取り合わせですが、ジャズはこの町によく似合うと思っています。この倉敷ジャズストリートに集まる人たちの『楽しい2日間だった』『来年もぜひ』という言葉に大きなやりがいを感じています」。そう話す大久保さんは、「散策しながら耳にしてくれるだけでもいいのです。そして、より楽しみたいと思ったら会場に入ってください」とも語ってくれました。
「町をもっと元気にしたい」「和と洋が融合するこの町だからこそのジャズの楽しみ方を提案したい」。そんな思いを抱く「町衆」の末裔(まつえい)たちが手がける当イベント。今では、2日間で3万人が来場する一大イベントに成長しています。