公開日2020/09/30

特集33.倉敷メイドの逸品が生まれる。モノ作りの現場へ 5

全国的にも珍しい「いかご職人」が
イノベーションを起こす

須浪亨商店(すなみとおるしょうてん)

かつて日本有数のイ草の産地であった倉敷市茶屋町。
この地で培われたイ草製品の加工技術と伝統を守り、全国的にも珍しい
「いかご」を生み出す、若き職人の工房を訪ねました。

  • 錦莞莚
  • 磯崎眠亀記念館
  • 磯崎眠亀

イ草の産地・茶屋町が育んだ、メイドイン倉敷の伝統産業

 主に畳などに用いられ、すがすがしい香りと白緑色の素朴な風合いが魅力の「イ草」。倉敷市茶屋町周辺は、かつて日本有数のイ草の産地でした。その大きな要因となったのが、江戸時代から進められていた旧児島湾の大規模な干拓。粘土質で栄養分に富んだ干拓地には塩分に強いイ草の栽培が推奨され、多くの農家が取り扱うようになりました。全盛期となる昭和30年代後半には、全国で生産されるイ草の5割以上が岡山産で、その大半が茶屋町で生産されていたといいます。
 イ草の栽培が増えるにつれ、この地では、畳表やゴザといったイ草を使った製品も数多く作られるようになりました。明治時代には、美しく緻密な模様を織り込んだ花莚(はなむしろ ※花ゴザのこと)の「錦莞莚(きんかんえん)」を、茶屋町生まれの磯崎眠亀(みんき)が発明し、世界に認められたのをきっかけに、花莚は日本の重要輸出品へと成長。町内各地でイ草製品を手がける業者や問屋が増えていったのです。

  • 須浪亨商店

 茶屋町に工房を構える『須浪亨商店』もそのひとつ。初代・須浪儀三郎氏が畳表の製造販売を開始し、イ草の栽培から販売までを一貫して行うようになったのが明治19(1886)年のこと。昭和40年代に入ってからは、3代目の亨さんと妻・榮さんが花筵の製造販売を始め、一時は販路を拡大し、多くの職人を抱えるまでになりました。そして現在は、5代目となる隆貴さんが家業を継ぎ、イ草で編んだかご「いかご」を作る全国的にも珍しい職人として、モノづくりに励んでいます。

  • イ草製品
  • イ草製品
  • 須浪隆貴さん
  • いかご

祖母から孫へ。「いかご」の伝統と技をつなぐ

 「今は住宅地になっていますが、昔は見渡す先まで一面のイ草畑だったそうです」。そう話しながら、工房の周辺を指さす隆貴さん。かつては日本有数のイ草の産地であった茶屋町でしたが、水島コンビナート建設の影響により、刈り入れ従事者の雇用賃金が高騰、宅地化によって地価が上昇するなどしたため、昭和40年代になるとイ草の栽培は急激に衰退しました。現在、茶屋町でのイ草の栽培はほぼ途絶えてしまいましたが、地域に根差した伝統と技は受け継がれ、イ草製品は今でも作られています。

  • 須浪隆貴さん
  • いかご製作風景
  • いかご製作風景
  • いかご製作風景
  • 須浪榮さん

 そのひとつが「いかご」です。3代目である祖母・榮さんが、畳表には使えない短いイ草をねじって縄状にした「イ縄」でかごを編んだのが、その始まりです。
 4代目である父・伸介さんが跡を継ぎ、花筵といかごの2本柱で事業を展開しようとした矢先、伸介さんが急死。隆貴さんが小学6年生の時でした。当時のことを榮さんに尋ねると、「夫はこの仕事を引退しとったし、ここらでイ草を生業にしとる人は、おらんくなっとったしねぇ。潮時かもしれん、一時はそう考えました」と教えてくれました。「でも、いかごを編むことなら私1人でもできる。花筵は無理じゃけど、いかごに専念すれば少しでも家業を続けられるんじゃなかろうか」。そう思い改め、いかご作りへと専念。伝統の灯を繋いだのです。

  • いかご製作風景
  • いかご製作風景
  • 須浪榮さん・須浪隆貴さん

須浪亨商店のイ草商品

須浪亨商店のイ草商品

いかご

いかご

作りたては青々として、爽やかなイ草の香りが魅力。経年とともに茶色くなり、独特の味わいへと変化。使うほどに艶が増し、手になじんでいく。

鍋敷き

鍋敷き

太めのイ縄をドーナツ型に編んだ鍋敷きは、どんな鍋も受け止めてくれる安定感が魅力。使わない時は壁などにかけられるよう、フックも付いている。

瓶かご

瓶かご

名前の通り、瓶を運ぶために作られたかご。ワインや日本酒を入れて運ぶのはもちろん、玉葱やジャガイモなどを入れて吊るしても◎。

須浪亨商店

1886(明治19)年創業。倉敷市茶屋町に伝わるイ草の加工技術と伝統を守りながら作られる「いかご」は全国的にも珍しく、素朴なデザインと丈夫さで評判になっている。最近では、ニーズに合わせて様々なバリエーションを展開。

【須浪亨商店】
http://maruhyaku-design.com/
  • 生地を織る

かつての産地からイ草製品の可能性を広げて

 榮さんがいかご作りに専念して8年がたった頃。夫・亨さんの体調が悪くなり、家業を続けるのが厳しくなったそうです。「ちょうど僕が専門学校を卒業する頃でした。もともとモノづくりが好きで、“民藝”にも興味があった。イ草に囲まれて育ち、小さい頃はおばあちゃんがイ草を編む傍らで遊ぶのが僕の日常でした。“家業を継ぐんだ”という気負いではなく、いかごを編むことを生業にしたい、そう思ったんです」。こうして隆貴さんは20歳の時に職人を志し、イ草と向き合う日々が始まりました。

  • 生地を織る
  • 生地を織る

 いかご作りに欠かせないのが、先代から受け継いだ織機です。繊維産業が盛んな倉敷は、織物が得意な土地柄。まずは「生地を織る」ことから、いかご作りが始まるといいます。織機に「イ縄」を掛けて、ガチャンガチャンと音を響かせながら丁寧に生地を織ってゆく隆貴さん。「イ草は自然素材です。いつも同じ状態ではありません。織った時に全体が均一になるよう注意を払っています」。その後、生地と生地をイ縄で縫い合わせ、持ち手をつけたら完成です。丁寧な手仕事で作られたいかごは、A4サイズのものが入るように大きさを調整したり、底を広げて量が入るように改良したり、持ち手を長くしてショルダータイプにしたりと、現在の暮らしに合うようにデザインや機能性を追求しながらバリエーション豊かに展開しています。最近ではイ草で作った鍋敷きや瓶かごも手がけるようになり、その可能性をどんどん広げています。
 「元々いかごは“闇かご”とも呼ばれ、戦後の闇市で使う買い物かごとして重宝されてきたものです。当時、闇かごはどの地域にもあり、竹、籐、蔓など、その土地の素材で作られていました。茶屋町でのイ草の栽培はほぼ途絶えてしまいましたが、産地の名残をいかごを通じて伝えたい。倉敷帆布や児島のジーンズのように、“茶屋町のいかご”として地域に根付くものを作っていきたいです」。そう力強く話す隆貴さんは、今日も真摯にイ草と向き合います。

  • イ縄
  • 作業道具
  • 織り機につながれたイ縄
  • 工房のようす

他にもこんな特集があります。

  • 特集 vol.6 クラシキ街角アート図鑑
  • 特集46 水島臨海鉄道 – 西日本唯一の臨海鉄道 – Chapter.1
  • 特集51 つなぐクラシキ – 融民藝店 – Chapter.1

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