公開日2017/10/3
公開日2017/10/3
高橋大輔さん、平井絵己さん、田中刑事選手…。
世界で活躍するフィギュアスケート選手を続々と輩出し続ける
倉敷フィギュアスケーティングクラブ。
選手を育み、クラブを支える人々の秘める思いに迫ります。
1993年に設立された「倉敷フィギュアスケーティングクラブ」(以下、倉敷FSC)。その名が、全国に広く知られるようになったのは2010年のこと。小学2年生から中学卒業までの8年間、このクラブでフィギュアスケート選手としての基礎を築いた高橋大輔さんが、バンクーバーオリンピックで日本男子初となるメダルを獲得したのがきっかけでした。
「最初は、こんなにオリンピックが身近なものになるとは思ってもいませんでした。オリンピックという夢を子どもたちと一緒に追いかけるのが面白く楽しくて、ここまで続けてきたのです」。クラブ創立以来四半世紀にわたって倉敷FSCを牽引してきた佐々木美行(みゆき)監督は、そう振り返ります。
昼間は小学校の先生として働きながら、夜や休日にはクラブ生を指導するという生活を長く続けてこられたのは、「子どもの成長を感じられたり、誰かのためになることをするのが、とにかく面白かったから」と話します。例えば、「あとちょっとで、アクセルジャンプを跳べるようになっている子の背中を、『ほらできるよ』って少しだけ押して、目の前で跳んでくれた時。『やったー』って一緒に喜べる時間があるというのが、すごくいい。それと同じことは学校でもあります。児童たちが、読めなかった漢字を読めるようになった瞬間や、できなかった九九を全部唱えられるようになった時とか。場所は違っていても、生きているっていう実感が湧いてくるんです。きっと、学校と倉敷FSCは、どちらも私にとって必要な場所なのだと思います」
そんな佐々木監督の目下の願いは、田中刑事選手のオリンピック出場。「こんな南というか、寒いところでもなく都市部でもないこの倉敷で、オリンピックという夢をかなえられることが嬉しいじゃないですか」と笑顔を見せます。
日々、スケートの練習を頑張っていることと思います。
皆さんの「今」を大切に、これからの道を一歩一歩着実に自分のものにしていけることを願っています。
目標に向かって、時に立ち止まっても、回り道をしても、全てに意味があることだと思うので、あきらめずに進んでください!倉敷FSC で出会った多くの友達やコーチの輪をこれからも大切に。皆さんの今後の活躍を願っています。
プロフィギュアスケーター
倉敷FSC 出身