公開日2024/12/10
公開日2024/12/10
栄次さんが父・眞三さんの弟子となり、吹きガラス職人の道を歩み始めたのは、23歳の頃でした。「親父は『自分の食い扶持は自分で稼げ』という考え方だったから、最初の頃は別の仕事で給金を稼いで、仕事を終えた夕方から工房へ。兄弟子と一緒に親父の作業を見て学び、その日の最後に1時間だけガラスを吹く。作るのは、基本の小鉢のみ。出来上がったものに対して、親父は良いも悪いも言わなかった。だから自分自身で、こうでもない、ああでもないと考えながら、ガラスと向き合う毎日でした。その修業を始めて3年後、『自分の窯を持て』と親父に言われ、自身の工房で小鉢を作っては父親に売りに行く。検品ではじかれたものは、どこがだめだったか自分で考え、そしてまた小鉢を作る。それを7年続けました」。
そして10年目の1993(平成5)年、「倉敷ガラス 眞三・栄次父子展」を開いたのを機に、自身のガラス製品を「倉敷ガラス」として世に出せるようになったのです。それから現在まで、栄次さんは「数(かず)もの」と呼ばれる定番のコップや小鉢、丸瓶、ぐい呑みなどをひたすら吹いてきました。「生活の道具だから、そのものが持つ適度な重さというのは必要。軽すぎたら不安だし、重すぎたら使いにくい」。父子の基本的な考えは同じですが、栄次さん自身の思いから、同じ品でも微妙な違いがあるのだとか。たとえば、「親父のコップは全体的に厚めだけど、僕の場合は飲んだ時の口当たりを考えて、口のところを薄くしている。ぶつけたら負けるかもしれんけど、普通に使うには十分な厚さ」と言います。
外村氏が説いた「健康で、無駄がなく、真面目で、威張らない」という民藝の精神。その教えを支えに、眞三さんが紡いだ倉敷ガラスを、長年、身近に見続けてきた栄次さんはこう言います。「親父は、創立まもない1996(平成8)年から約8年間、倉敷芸術科学大学で教鞭をとり、そこで学んだ学生たちも工房を構えて活躍しています。僕も倉敷芸術科学大学専門学校(現:倉敷 食と器 専門学校)で教え、『若い子たちの発表の場になれば』と、教え子とグループ展をしたこともありました。技術だけでなく、ものを作る姿勢と気持ちを継承することはそれ以上に大事。その種まきができれば」。
煌々と赤く輝く炉と向き合う栄次さん。「これからも、生活の道具として役に立つガラスを作り続けたい」と真摯に語ってくれました。
倉敷ガラスを代表する小鉢。和洋中どんな料理も受け止めてくれる懐の深さが魅力。
手の中にしっかりと包みこめるサイズ感も魅力のひとつ。モールの模様が美しい。
徳利の持ちやすさと造形の美しさが特徴。一輪挿し、オブジェとして使っても◎。
前身は1965年に創設した水島ガラス。1966年に倉敷ガラスと改名し、1971年に倉敷市粒江に工房を移築。小谷ブルーと称される美しい青色がブランドカラーで、小鉢やコップ、酒器など暮らしに根差した品々を作る。