公開日2025/11/4
公開日2025/11/4
「弟子入りするなら大好きな武内真木さんしかいないと思ってお願いしたんですが、断られました。でも、『焼物をやりたい気持ちはわかったから』と紹介されたふたつの窯のひとつが、島根県にある『森山窯』の森山雅夫さん。森山さんも押紋をされていることを知り、弟子入りを決めました」。
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森山さんの下では、粘土中の空気を抜くための菊煉りという作業から始め、次はひたすら石膏型に土を詰めて箸置きを作り続けたそう。初めてろくろの前に座らせてもらったのは、三ヶ月ほど経った頃。「手本として湯呑みを1個作って見せてくれた森山先生に『これを引きなさい』と言われ、よくわからないまま始めたんですが、まともに作れるようになったのは三ヶ月後。途中、あまりに役に立ってなさすぎると思い、ろくろを休ませてほしいと言いそうになったこともありました」。
そう振り返る三宅さんは、諦めることなく土と向き合い、念願の押紋をはじめとするさまざまな技を学んでいきました。




民藝運動を提唱した陶芸家・河井寛次郎の最後の弟子として知られる森山さんからは、実用に則した健康的な美しさを大切にする民藝の精神も受け継ぎました。
「直接的にああしろこうしろと言われたことはありません。ただ、先生ご自身が尊敬し大好きな河井先生の言葉や弟子だった時の話をすることで、それとなく教えてくれたのだと思っています」。
2024年3月に「倉敷青木窯」を開いた際、三宅さんが自身のインスタグラムに記した「岡山倉敷の恵みを受けながら、丈夫で使いやすく、人々の暮らしを明るく照らすような仕事をします」という一文が、それを物語っています。




