公開日2023/11/22
公開日2023/11/22
「民藝」は、思想家・柳宗悦らによって生み出された「民衆的工藝」を意味する言葉です。民藝の手仕事で作られた実用品の中に純粋でたくましい美しさがあるという考え方「用の美」は、人々の心と暮らしを豊かにしてきました。
1948(昭和23)年に日本で2番目の民藝館である『倉敷民藝館』が開設され、現在もさまざまな民藝関連の施設や店舗が点在する、民藝と関わりの深いまち倉敷。そんな倉敷の地で、1971(昭和46)年から半世紀にわたって県内外の多くの人から愛されてきたのが『融(とをる)民藝店』です。
創業者の小林融子さんは、自ら全国の作り手を訪ね集めた民藝品の数々を、使い手へと繋いできました。作り手には使い手目線で実用にかなう基準を求め、使い手には暮らしの中で使う楽しさを伝え…。やがて小林さんは、作り手からも使い手からも頼りにされるようになり、いつしか「民藝の母」とも呼ばれるようになりました。
しかし、年齢に伴う体力の衰えから、50周年を迎えた2021(令和3)年に引退を決意。当初は閉店することも考えていたそうですが、惜しむ声が多く寄せられ、後継者を探して店を存続させることに。そして、「民藝への思いを同じくし、確かな見る目を持つ」山本尚意さんに当店を託すことになったのです。
山本さんは、東京でカメラマンとして活動していましたが、東日本大震災を機に、出身地・倉敷のある岡山に移住。東京で手がけていた雑誌で民藝の作り手を数多く紹介していた山本さんは、「倉敷でものづくりをする人たちを全国に発信できないか」と考えていたそうです。
縁あって、岡山市で民藝品を扱う会社に入社した山本さんは「もっと深く民藝について知りたい」と思うようになり、それ以来、倉敷民藝館や融民藝店をたびたび訪れるようになりました。
そしてある日、小林さんから「この店をやってみませんか」と声をかけられたのです。
「思ってもみない言葉に困惑しましたが、小林さんの熱心さや常連のお客さまや作り手さんたちの勧めに背中を押されて、店を引き継ぐことを決意しました」と、山本さんは振り返ります。