公開日2015/09/23
自分自身がカッコイイと思える、
児島発のデニムブランドを作りたい
- graphzero (グラフゼロ) 運営会社:株式会社Channel
- 代表取締役 鈴木 徹也 さん
公開日2015/09/23
自分自身がカッコイイと思える、
児島発のデニムブランドを作りたい
1965年に初の国産ジーンズが誕生し、今や世界に誇るジーンズの産地へと成長した倉敷市児島地区。
その地の常識を覆す製造形態で独創的なジーンズを生み出すブランドが、全国の視線を集めています。
品質の高いジーンズの産地として世界に知られ、「国産ジーンズ発祥の地」「日本のデニムバレー」の別名で、ジーンズファンの注目を集めている倉敷市児島地区。
数多くのジーンズメーカーや工房が集結する児島にあって、独創的なジーンズで注目されているブランドがあります。それが、「自分自身がカッコイイと思える、児島発のデニムブランドを作りたい」という、鈴木徹也さんの思いから誕生した『graphzero』です。
かつては分業が当たり前だったこの地のジーンズ製造ですが、鈴木さんが目指したのは、製造から販売までのすべてを一貫して行う形態でした。2004年、その呼びかけに応じたプロフェッショナル7人が集結し、設立されたのが当ブランドです。その名に込めたのは、「グラフのゼロ地点から創り出していく」という思い。生地の企画・製造から手掛け、パターンに合わせて裁断、十数種のミシンを必要とする縫製の全工程を担い、仕上げまで一本一本、ほぼ自社内で作り上げています。「それぞれのプロと一緒にやることは、勉強になるし、すべての工程を知ることによって幅が広がり、できることが見えてくる。それが新しいモノづくり、世の中にないモノづくりを可能にしてきました」と鈴木さん。時にそれぞれのプロとしての知識や技術で補い合い、時に意見を戦わせ、互いの力を高めることで、新たなジーンズを生み出してきたのです。ここで確立された「一貫生産」という、児島ジーンズ業界ではこれまでなかったスタイルは、時とともにこの地のモデルケースのひとつとなり、今では多くのブランドに取り入れられています。
オリジナルのヘリンボーンデニム生地を採用。右綾左綾を交互に繰り返した組織のため、色落ちもラインごとに表情が出て独特のものになります。
デニムパンツと同じキバタのセルビッチ生地で作ったエプロン。デニムパンツと同様、色落ち時にヴィンテージの雰囲気と、生地特有の織りが現れます。
様々な生地のバリーエーションが並ぶジーンズ。中にはオリジナルの特注生地から企画して作っているものも。実家が生地屋の鈴木さんならではのこだわりを感じます。
ジーンズ以外にも、独特のアイデアが盛り込まれた様々なデニム製品をつくっています。上は、地図やパスポートが入る、大きめのポケットが特徴的な、「トラベラーズシャツ」
「graphzero」の自社運営のショップ「HEART MADE BASE」。愛着を持って長くはき続けてもらうため、2階ではセミオーダージーンズや簡単な補修なども行っています。
干拓地のため、塩分に強い綿花の栽培に適しており、江戸時代から綿花の一大産地として栄えてきた児島地区では、豊富な綿を原料に、真田紐、足袋、畳縁、学生服、作業服などの繊維産業が時代とともに発展。第二次世界大戦後にはジーンズ産業が興り、現在は多くの国産ジーンズ製品を生産しています。エリア内には、地元ジーンズメーカーのショップが連なる『児島ジーンズストリート』をはじめ、「ジーンズミュージアム」や「児島学生服資料館」「藍染め体験」などが集まった『ジーンズヴィレッジ』も。
ジーンズをテーマに商店街活性化を目指しているストリート。地元ジーンズメーカーの販売店をはじめ、雑貨店、飲食店など、魅力的なショップが連なっています。
ジーンンズ作り体験工房や資料館、藍染め体験、学生服資料館など、ジーンズに関する産業観光施設が密集したエリアです。それぞれ直営ショップやアウトレットショップなども併設されています。
国産ジーンズの発祥の地といわれる倉敷市児島にあるジーンズの資料館。それぞれの時代のジーンズや古いミシンなど貴重な資料を展示し、ジーンズの歴史や生産工程などを紹介しています。