公開日2017/03/8
もっと地下足袋の魅力を知ってほしい、
もっと身近に感じてほしい
- 株式会社 丸五 (Marugo Company Inc.)
公開日2017/03/8
もっと地下足袋の魅力を知ってほしい、
もっと身近に感じてほしい
「“メイドイン倉敷”だからこそ作れる“新しいスタイルの地下足袋”を届けたい」
倉敷市茶屋町にある老舗メーカーが、熟練の技と、丁寧な手仕事を生かして、
地下足袋の新たな可能性に挑んでいます。
江戸時代に広大な干拓地の開発が行なわれ、古くから綿の栽培が盛んな倉敷市茶屋町(ちゃやまち)。栽培の拡大とともに綿を用いた繊維産業も発達し、座敷足袋の生産も発展。最盛期には複数の会社が集まり、産地として賑わいをみせていました。そんな茶屋町に、1919年(大正8年)の創業以来、地下足袋を作り続けているパイオニア的メーカー「丸五」があります。
「もともと地下足袋は作業用の履物。農業や土木など、働く人の足を守るものでした」と話すのは、商品開発リーダーの波止さん。 「日本では用途が限られていた地下足袋ですが、海外では履き心地のよい靴、武道用の靴として認知されていました。“もっとオシャレな地下足袋がほしい”との要望が海外からあり、その思いに応えたのが “ASSABOOTS(アサブーツ)”です」。
コハゼ(足袋を留める時にひっかける金属製の留め具)や、指先が二股に分かれた「股割れ」といった地下足袋の特有のフォルムを活かし、カラフルな色や柄をほどこしたファッショナブルな地下足袋を、2009年にヨーロッパで販売。現地で徐々に人気を集め、「手ごたえを感じた」と当時を振り返る波止さん。地下足袋の新たな可能性の扉が開いた瞬間でした。
2012年、「ASSABOOTS」の販売を日本でも開始。「反響はあったのですが、日本では“地下足袋=作業用・祭事用の履物”というイメージが強く、気になるけれど普段の暮らしには馴染みにくい、と感じる方が多かったように思います」と話す波止さん。
「地下足袋は、100年近く続く日本伝統の履物。働く人のための履物としてここまで続いているのは、足裏から伝わる情報量、バランスのとりやすさ、そういった機能が優れているから。地下足袋メーカーとして、その魅力を日本の人にもっと知ってほしい」という強い思いから、2014年に地下足袋の機能を設けた新たな履物の開発に着手。老舗メーカーとしての技術力とノウハウを結集させ、生活に取り入れやすいデザインを求めて試行錯誤を繰り返すこと約1年。誕生したのが、ヨーロッパ発祥のリゾートサンダル「エスパドリーユ」と地下足袋を融合させた、新感覚シューズ「たびりら」です。
地下足袋の機能性や履き心地はそのままに、水玉やストライプなどポップでキュートなデザインをほどこした「たびりら」は、若い女性を中心に人気を集めるようになりました。地下足袋特有の「コハゼ」をあえてなくしたことで靴の脱ぎ履きがスムーズになり、現代の生活に合う「新しい地下足袋」へと進化を遂げたのです。
現在では、「もっと地下足袋の魅力を知ってほしい、身近に感じてほしい」との思いを抱き、「ASSABOOTS」「たびりら」から始まった新しいスタイルの地下足袋「W toes」シリーズの開発に挑んでいます。
地下足袋メーカーのノウハウが詰まったシューズ。特徴である、指先に沿うような柔らかさ、心地よさは手仕事だからこそ。
素足に近い履き心地と普段使いできるデザインが特徴。『島』『海』など瀬戸内海をモチーフにした、オリジナル柄の帆布もポイント。
ファッション性と履き心地を融合させた新しい地下足袋。カラーバリエーションも豊富で、児島のデニム生地を使った商品もあります。
地面をしっかりとつかむ足指本来の動きを可能にした足袋型トレーニングシューズ。アッパー(底と中敷き以外の部分)には伸縮性のある繊維を使い、フィット感がアップ。
地下足袋の一貫生産を目指して1919年(大正8年)に「丸五足袋株式会社」として創業しました。社名には「真摯な気性で円満で勢いよく、さらに世界の5大陸へ飛躍しよう」という願いが込められています。
創業以来、地下足袋を作り続ける丸五。創業者・藤木伊太郎が1917年(大正6年)頃に人力車のタイヤを加工して縫い付けた「縫付式地下足袋」を考案し、これが地下足袋の原点の一つともいわれています。地下足袋は日本中の労働者に歓迎され、当時としては大規模な600人もの従業員がその生産に追われるようになりました。
あれから約100年。昔と変わらぬのこぎり屋根の工場が立ち並ぶ茶屋町の工場で、新しいスタイルの地下足袋「W toes」シリーズが作られています。「ASSABOOTS」開発当時は、海外の自社工場で生産していたのですが、この開発をきっかけに“メイドイン倉敷”を復活させたいという思いが強くなり、2011年には製造拠点を倉敷に移行。以来、「W toes」シリーズは、デザインから足型の設計、成型までを、一貫して倉敷で行なっています。
「足先が二股に割れるため作業は複雑。地下足袋ならではの履き心地の良さを追求するためには、どうしても人の手が必要なんです」と教えてくれたのは、工場長の今田さん。なかでも、ソール(靴底)とアッパーを留める「吊り込み」と呼ばれる作業は、熟練の技と丁寧な手仕事が要求される工程。専用の道具を使い、手の感覚を頼りに一つひとつ作り上げていきます。
また、「たびりら」に使われる生地には倉敷産の帆布を採用。「綿産業が盛んな倉敷の魅力を伝え、地元を盛り上げていきたい」という思いを体現したものです。帆布の老舗メーカー・タケヤリとのコラボレーションで誕生したオリジナル柄は、海や波など瀬戸内海をイメージしたデザインで、足元を美しく彩ります。児島のデニムを使ったものもあり、地域に根差した商品開発も盛んです。
「“メイドイン倉敷”だからこそ作れる“新しいスタイルの地下足袋”を届けたい」その思いを胸に、地下足袋の新たな可能性に挑んでいます。
江戸時代に児島湾を干拓して作られた茶屋町は、広大な平野を利用して、い草や綿花の栽培が盛んに行われた場所。それらを原料に、畳表や足袋などの産業が栄えました。明治時代になると、い草を緻密に織り込んだ花莚(”かえん” 花ござのこと)の「錦莞莚(きんかんえん)」を茶屋町出身の磯崎眠亀が発明し、日本を代表する輸出品として珍重されました。住宅兼作業場を記念館として残しており、その美しさや歴史を知ることができます。また、記念館の向かいには、150振以上の刀剣を常設する倉敷刀剣美術館があり、歴史や刀剣の美しさにふれることもできます。
秋になると、鬼の面をかぶった市民が街を練り歩く秋祭り「茶屋町の鬼まつり」が行なわれ、200年以上続く伝統行事として市民に愛されています。