公開日2022/03/9
公開日2022/03/9
倉敷といえば美しい白壁のまちや国産ジーンズ発祥の地など、さまざまな顔を持っていますが、将棋とゆかりの深いまちでもあるのです。その礎を築いたのが、1923(大正12)年に倉敷で生まれた大山康晴十五世名人(以降、大山名人)です。倉敷美観地区のほど近くには、大山名人の功績をたたえる「倉敷市大山名人記念館」があり、数々の優勝カップや大山名人が揮毫した掛け軸、愛用していた将棋盤やトレードマークの眼鏡など、貴重な資料を展示。将棋のまち・倉敷のシンボルとして、広く親しまれています。
「大山名人の偉業は、数えるときりがありません」。そう話す館長・北村実さんの言葉どおり、大山名人は29歳で名人位を獲得。公式タイトル獲得80期(歴代2位)、一般棋戦優勝44回(歴代2位)、通算1433勝(歴代2位)、5つの永世称号(十五世名人、永世十段、永世王位、永世棋聖、永世王将)を保持するなど、さまざまな偉業を成し遂げました。さらに、プロ棋士ランクの最上位であるA級に、69歳で亡くなるまで44期連続で在位(歴代1位)し、将棋史にその名を深く刻んだのです。
「同時に大山名人は、将棋の普及活動にも力を入れていました。A級棋士でありながら日本将棋連盟の会長に就任した1976(昭和51)年頃からはひときわ熱心に取り組むようになり、地元・倉敷はもちろん、全国各地、海外に足を運ぶこともしばしば。私も同行し、その活動を支えましたが、第一線の現役棋士として活躍しながらの普及活動の労力たるや、並大抵のものではなかったと思います」と北村さんは当時を振り返ります。企業や団体に将棋の普及発展の必要性を説いたり、アマチュア大会の審判長を務めたり、子どもたちに指導したりと、活動内容は実にさまざま。1990(平成2)年、将棋界としては初めてとなる文化功労者に選ばれました。その功績が広く認められた瞬間でした。