公開日2022/03/28
公開日2022/03/28
大原美術館は1930(昭和5)年に設立された、日本最初の西洋美術中心の私立美術館です。美術館が建つのは、かつて江戸幕府の直轄地、いわゆる「天領」となり、物資の集積地として栄えた倉敷。倉敷川沿いには豪商が集まり、船で運ばれた米や綿花などを保管するために蔵や商家が林立し、塗屋造りの屋敷、なまこ壁が美しい土蔵造りの蔵が連なる白壁の町並みを形成。明治、大正、昭和へと移り変わるごとにそれぞれの時代の建物が混在した「生きた町並み」は、今では「倉敷美観地区」として広く親しまれ、大原美術館はそのランドマークとして多くの人を迎え入れています。
美術館を設立したのは、倉敷の水運の利を生かして財を成した大地主・豪商の大原家7代目当主、大原孫三郎。実業家で、公共福祉の先駆者であり、倉敷の町の発展のために尽力しました。開館当初からの姿をとどめる大原美術館「本館」には、エル・グレコ、モネ、ゴーギャン、マティス・・・といった美術館の中核を成す作品が所蔵・展示されています。ここにある作品の多くは、洋画家であり孫三郎の友人でもあった児島虎次郎が「日本の芸術界のために」という信念で収集してきたもの。その思いに巨額の私財を投じて応えたのが、孫三郎だったのです。虎次郎は3度にわたる渡欧で、100点以上の西洋画と中国・エジプトの美術を倉敷の地にもたらしました。残念なことに、虎次郎は1929年(昭和4)年、47歳の若さで他界。翌年、その早すぎる友の死を悼んだ孫三郎が、虎次郎の収集した作品、そして虎次郎が描いた作品を公開するため、大原美術館を設立します。
「あれから約90年。開館当初は西洋美術中心の美術館でしたが、今は小さな総合ミュージアムとして門を開いています。大原美術館は、ずっとコンテンポラリー(現代アート)を取り扱っています。虎次郎はモネに直接交渉して『睡蓮』の絵を譲り受け、ARKO(アルコ:倉敷に滞在して作品を制作する大原美術館主催のレジデンスプログラム)の若手作家たちが完成させた作品も当館が収蔵し、今を生きる作家たちを支援。つねに同時代の作家とともに歩んできた美術館が大原美術館なのです」。そう話すのは、大原美術館の理事長であり、孫三郎のひ孫にあたる大原あかねさん。印象派をはじめとする世界的名画の数々が並ぶ「本館」からスタートした美術館には、時代を重ねるごとにコレクションが増え、日本の近・現代の美術を展示する「分館」(1961年築)、民藝運動に関わった作家らの作品や東アジアの古美術が並ぶ「工芸・東洋館」(1961~1970年築)が加わり、唯一無二の世界観を放つ総合美術館として世界にその名が知られるようになりました。
日本最古級の歴史を持ちながら、常にその時代の「今」を取り入れて成長し続ける。それはまるで、伝統を守りながら新しい暮らしや文化を育む倉敷の町並みと呼応するかのようです。「設立者である孫三郎にとって、倉敷はとても大切な場です。土地の持つ歴史やストーリーの宿る美術館が、倉敷の町とともに生きている。そのことは『場の持つチカラ』を支えているのではないかと思うのです」。そう話す大原さんの言葉が印象的でした。