公開日2023/03/28
公開日2023/03/28
倉敷市の瀬戸内海沿岸に位置し、瀬戸大橋の本州側の起点となる下津井地区は、かつて北前船の寄港地として栄えた商港でした。この町に、かつての活気を取り戻そうと立ち上がった地域おこし団体「下津井シービレッジプロジェクト」。完成したばかりの「せとうち古民家お試し住宅」に3人の代表に集まっていただき、活動理念や取り組み、これからの未来像について伺いました。
矢吹 私が「むかし下津井回船問屋」の館長に赴任したのが2015年。観光地といいながら、下津井町並み保存地区は閑散としていました。館長となり地域の人と接するうちに、保存地区の町家に住む人が高齢化し、不便さを嫌う若者がこの地を離れ、どんどん過疎化が進んでいるというまちの構造が見えてきました。 牧 ここ下津井は人口減少が著しく、人口約4200人(令和4年12月末時点)、うち高齢者率は約44%。このままいくと、過疎のまち、限界集落ということもなきにしもあらず。 正田 急激な人口減によって、空き家も増加していますよね。本葺き屋根やなまこ壁を有する歴史ある建物にも関わらず、その維持管理ができずに崩壊する建物さえ出てくるまちになってしまいました。 矢吹 そんな中、保存地区で群を抜いて重要な町家が取り壊され、敷地は分譲地として売られることになったという、寝耳に水のような話が飛び込んできたんです。それが、回船問屋で財を成した「中西家」。私が館長に赴任したときに、地域の方から「何とか再生・活用法を探してほしい」と言われていた建物であり、下津井を訪れた人たちに事あるごとにPRしていた建物でもありました。町を象徴する立派な建物を壊してしまったら、二度と元には戻らない。だから私は家主に懇願し、1年間の猶予期間をもらったんです。その間、知りうる限りの人に連絡し、維持存続の道を探ったんですが、これだけの規模の建物を改修するには膨大な資金が必要であり、私1人の力では限界があった。容易に新しい活用の道は見つかりませんでした。そんな時に現れたのが、牧さんだったんです。
牧 矢吹さんとは面識こそなかったけれど、彼の下津井への熱量は知っていました。僕は中学まで下津井に住んでいたこともあって、「生まれたこの場所を何とかしたい」と中西家の話を聞きに行ったんです。矢吹さんが館長退職を控えていたこともあり、「矢吹さんが本気で地域おこしに取り組むならば、僕も本気でやる。逆に本気じゃなければ、僕は降りる」と。互いの思いを確認したのが、2017年の春のことでした。 正田 大工職人を抱える地元工務店として、古民家再生の活動に力を入れ始めて数年経ったある日。SNSで下津井の由緒ある古民家が取り壊しの危機に瀕しているという投稿を見つけました。その発信者が牧さんだったんです。私は居ても立ってもいられず「一度話を聞かせてほしい!」と投稿。すぐに「今週にでも話をしましょう」と返信があり、ワクワクというか使命感を感じたのを覚えています。
牧 正田さんと僕の息子は、児島青年会議所の研修委員長と副委員長の間柄で、息子から「正田さんは本当にできる人だから、絶対にこの縁を逃さないように」と言われてね。 矢吹 こうして集まった3人ですが、意外な感じは全くなかったですね。来るべく時に来るべき人が集まったなと。最初は事務所もなかったから、牧さんのオフィスが僕らのたまり場だった。会合終わりには宴会で熱く語り合ってね。 正田 そうそう、話して飲んで(笑)。 牧 集まるたびに盛り上がってね。矢吹さんは観光や地域おこしに造詣が深く、正田さんは古民家再生のスペシャリスト、そして僕はレンタカー4台から会社を大きく築いた経営ノウハウがある。異なるフィールドの3人で、まずはできることから始めることにしたんです。